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2005年4月16日

●目を覚ました その3

1年生の時彼は真面目に運動部で頑張っていたのだが、辞めたり入ったりで長続きしなかった。夏の合宿では今でいう日射病に出くわし救急車にて病院に運ばれその後家族との話し合いで運動部を辞める事に至った。後から考えると自分の主張をすればよかったのかもしれないが、日射病にかこつけて運動部を辞める理由にしたかったという事もあるらしい。その後酒とタバコを覚え(早熟であった)その後彼の世界は変わっていった。他校の女子生達と清い交際をしたのもこの頃だった。勉強もそれなりにはやったようだが、あまり手に付かなかった。

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現役合格はやっぱり無理であり、仙台で浪人生活を始める事になったようだ。最初の下宿は老夫婦が営んでいる賄いつきの古い建物であった。下宿生にはやはり同じ浪人組の秋田出身の真面目な学生と一浪して東北大に入った大学生そして彼の3名だった。その後彼の姉が仙台に引越しをしてきた。それじゃと言う事で姉弟の二人暮らしが始まった。彼の姉は昔から病弱気味の母親に代わり彼の面倒を良く看た。釜石時代では姉が小学校4年生の時から母親代わりとなり父親と弟の面倒を看ていたのである。彼の姉は結構気が強く負けず嫌いであった。

一緒に住むと姉は彼の面倒を良く看た。浪人生活も終わり実家に帰る時期になり、この1年間で3回引越しをして累計7回の引越しとなる。川崎で親戚が建設業を営んでいたので、取敢えず学生生活の最初の半年は其処で暮らした。その後高座渋谷にアパートを見つけてもらい引越しをした。しかし、彼はその当時から彼方此方の友人のアパートに入り浸りとなりほとんど自分のアパートを利用しなかった。不動産屋の店主も電気や水道の使用量が少ない事に怪訝な顔をしていたが、毎月払うべき家賃はちゃんと納めていたわけだから、文句は言わなかった。

彼はこのままではいけないと考え小松川にアパートを借りた。しかしここも名ばかりでいつものアパートに入り浸りであった。家賃を払いに大家さんと顔を合わせるとやはり訝しげな顔をするが、家賃はキチンと払うから一切文句は言わない。むしろ別のアパートの大家が厭な顔をしていた。一人で住む条件のところに色んな学生が屯するのだから話が違うということであったらしい。かくしてその場所が同期生やら大学生のたまり場になった事は云うまでもない。学生時代に川崎・高座渋谷・小松川・小松川と引越しをして計4回累計11回となった。

卒業後結婚をして川崎の等々力公園の直傍に引越しをした。ところが最初に入った会社が半年もしないうちに倒産した。困った彼は親戚に頼んで建設会社のアルバイトをした。それが結局は今の彼の職場となってしまったようだ。アルバイトをするうちに正式に社員になれと言う話が持ち上がり、他に仕事話の無かった彼は一つ返事で了解をした。実家に帰ってもあまり仕事は無いと言う父親からの返事を聞いていたからである。父親は職業柄当時の地方での雇用の需要と供給のバランスは、労働者にとって有利ではない事がハッキリ判っていたのである。

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