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2005年8月19日

●遅いけれどやっと花火大会

8月も後半に入った。盛岡では迎え火と称し小枝に火をつけ家の玄関の前で焚付けをしたものだ。

今も昔も我が家では必ずと言っていいほど花火をやった。

それは小さい子供が迎え火の意味を知らなくても、自然に先祖を迎える儀式を身に着けていたのである。

今年も迎え火の時に兄や姉と更には甥姪そして親父お袋と一緒に花火をしたのであった。

それが我が家の習慣であった。

今年は府中の花火は見る事が出来なかった。

それは47東京白亜会と開催日が重なったからだ。

本当はどちらも大事な行事なのだが、今年はどちらかを選択せざるを得ない状況であった。

結論から言えば当然のごとく同期会を選択した。

花火も同期会も毎年開催されるだろうが、同期会に参加するメンバーは毎年同じとは限らない。

やはり人間関係は大事である。従って同期会を優先した。

だからもう花火は無いものと思っていた。

しかしだ、明日に川崎市制祈念多摩川 花火大会が開催されると聞いた。

俺はガッツポーズをした。ヤッター。

天は俺を見捨てていなかった。昨年も行きたかったが、開催そのものを知らなかった。

だから、今年は絶対に行く。そして自分の願いをその花火に伝えたい。それが願いだ。

明日は花火を心の底から楽しみたい。そして信じたい、未来がある事を。

m5

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コメント

イヤー川崎の花火も捨てたものじゃないね。
目の前で花火を見てきました。
写真も撮ったから後でアップしてみよう。
だけれど人が凄かった。
大いに楽しんだけれど、その代償も大きかった。
なんと、スリに合ったのか紛失したのか定かではないが、
気がついたら財布が無かった。
トホホ、先ほど交番で届けを出してきたよ。
カードも入っていたので直ぐにとめてもらった。
やっぱり人ごみはやばいね。
皆さん気をつけましょう。

美しい花火、しかし、財布を失くされて大変でしたね。花火大会は泥棒も暗躍しているとのこと。
安心して花火が見られる世の中になってほしいものです。
しかし、浮世のことなど、何もかも忘れてしまいそうなほど、心を奪われるのが花火です。

盛岡のご実家での風習、伝統を本当にうらやましく思いました。
私は迎え火、送り火をした経験がないのです。
両親の実家の風習にはなかったのかもしれません。
子供が学校から配布された「子供を健全に育てるための指針」に、季節の伝統的な行事を大事にするという一項が入っていました。
きっと、伝統行事には先祖を大事に思う、情緒を育てる、家族がひとつに纏まるなど、いろいろな効用があるのだと思います。

私も好摩と矢巾でお盆を経験して、随分と風習が違うものだと感じた次第です。
多分、宗派によるものと解釈しています。曹洞宗と浄土真宗ですので、「毎日がお盆です(日蓮宗)」みたいにお盆についても、先祖の霊を敬う点は共通なものの、特別にお迎えしたりしない宗派もあるなぁと思いました。
何よりも、今回、縁があって總持寺の檀家になったら、お盆が7月なのですよ。同じ曹洞宗なのに、先祖は1ヶ月の間ウロウロするのかい?
と不思議に思って少し調べました。

お盆は盂蘭盆の省略形。盂蘭盆はullambana(サンスクリット語)の漢語形。語意は「逆さづりの責め苦」であり、釈迦の十大弟子の一人、神通力の目連さんの経験に基づく。神通力で亡くなった両親を見通したら、父は天上界にいるものの、母は餓鬼道に落ちており、おなかを空かしている。神通力でいくら食べ物を送り込んでも母親の口には届かず、直前に燃えてしまう。困ってお釈迦様に相談したら、「神通力に頼らず、大勢の人に施すことで自然に母親の口にも届くはず」というアドバイスがあったとさ。
それで、僧の修行の反省会(7月15日に実施される)にお斎の場で周りの僧達に十分に施しをしたら、母親のクチにも入り、無事天上界に昇る姿が見えたという。
この話が、地獄(この当時は概念が無い)の責め苦から救う行いとして盂蘭盆、すなわちお盆がイベントになったそうな。
日本に最初に入ったのが606年(推古14年)であり、今年は1400回目の記念のお盆だった。
7月15日が、文明開化で暦が変わって、
ミーハーな東京(江戸)地区・・・・数字重視
沖縄・九州の一部地区・・・・・・・旧暦のまま
関西・その他・・・・・・・・・・・月遅れ
と変わってしまったようである。

ということで、總持寺も7月になってしまったのですね。
先祖が1ヶ月ウロウロすることはなく、要は「七代の命の継続」を感謝する日が1年に1回あるということであり、皆さんも、長い命の継続、自分が生きていることへの感謝を忘れずに・・・・

お盆の習慣と言うものは宗派とは違ったものなのかもしれません。
実は兄夫婦が菩提寺の行事を調べた上での話しですが、迎え火送り火は13日と16日だと言う事ののです。
ところが実際には我が家では14日と17日に迎え火と送り火をしているのです。
何が正しいのではなく、同じ盛岡でも宗派に関係なく、同じ町内に住んでいる人たち(勿論各家庭の宗派は違う)
の習慣で、迎え火と送り火が日常的になっているように思えます。
私の名須川町に関して言えば、町内は皆宗派が違います。
だけれど、私が小さい頃から、この習慣は続いていたと思います。
だから、そんな住む人の仲間意識による習慣と言うものも宗派を超えてありうるのかと思います。
それもまた日本人的な調和を大事にする生き方なのかもしれません。

お盆の由来を初めて知りました。
今年が1400年目とは、なお意味深いものに思えます。
何となくわかったつもりで、実は何にもわかっていないことがあることに驚きました。
ひとつのことでも、深遠な歴史、伝統がある...。
蓮の葉に精進料理をのせて、お盆にあげたり、16日にはそれを川に流しに行った子供の時の光景が脳裏に刻み込まれている。(父の実家は浄土真宗)
風習は違っていても、しみじみと命の繋がりを大事に思う良い機会を、毎年与えられていることに感謝。

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