« 在京白亜会無事終了 | メイン | 五月雨 »

2006年5月14日

●母の日に想う

母の日に想う。
今日は5月14日、5月の第二日曜日で母の日である。
毎年母親には数日前に花を贈ることにしている。
若い頃は贈ったり贈らなかったり、電話で事を済ませたりと結構いい加減であった。
父母とも健在だが、父親は最近体力が落ちてきてしまったようだ。
話す事も億劫なようで、発する声もちいさいと聞いた。
それに比べて、話し声だけは元気一杯だが、
体が言う事を効かないと愚痴をこぼすのは母親の方だ。
そんな母にせめて花くらいは毎年贈ろうと言う気持ちになったのは、
ここ10年位の事だ。
今日もそろそろ花が届いている事だろう。
花が届くと盛岡から必ず電話が入る。
何時になるのか判らないが「お花有難う。」と、
しわがれた声が今にも聞こえそうである。

コメント1へと続く

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pmp-jp.com/mt6/mt-tb.cgi/380

コメント

コメント1
この2~3年は年に数回帰省する事にしている。
やはり親父お袋が年を取ったので健康状態が気になるからである。
とは言っても慢性の症状からは既に回復の余地は考えられず、
症状が悪化しない事を祈るだけである。
以前は2~3年も帰らない事もあったが、まだ両親も若かったので、
数年ぶりに再会してもそんなに老けた感じはしなかったのである。
しかし、最近は2~3ヶ月ぶりに帰っても、其のたびに老けていく父母が其処にいる。
老化が急激に進んでいるのだろう。それを見るのが忍びない。
コメント2へと続く

コメント2
元気な頃は父親も母親も大変怖い存在であった。
自分がやましい事をすると、直ぐそれを感じ取る母親の勘の鋭さ故か、
それとも財布からソーッと10円玉を取って飴玉を買ってきて、
「財布から10円なんてとっていないからね。」と
自分から告白している子供みたいな幼さがどこかに残っているからなのか。

子供の頃であった。
りんごはりんご箱の中にたくさん入っていたものだが、
縁側に置いてある其のりんごが食べたくてりんご箱から一個取り出し、
早いところ家を出ようとした其の時に、後ろから声がした。
「マサシッドコヘイクンダ。」と、既にトーンが高い声だ。
「ヤバイ」と思って、後ろも振り向かずに「アソビニイッテクル~」と
答えて玄関を出ようとした其の時、「マチナサイ」と母親は近寄ってきた。
「カクシテイルモノヲダシナサイ」と身体を振り向かせ、
シャツの中に隠してあったりんごを取り上げたのであった。
そう、りんごを隠すところが無かったので、
片手でりんごを掴んだままシャツの中に入れてた、
その仕草がいかにも不自然であったのだろう。
それは直ぐに母親には何をしているのか判断出来たのである。
当然其のりんごは取り上げられて、りんご箱へと戻されたのである。
其の時の母親の形相は本当に怖かった。
コメント3へと続く

コメント3
年のころは前後するが、爺さん婆さんがしっかりしていた頃、
多分4~5歳の頃だと思うが、我が家では小さな6畳間に家族5人が暮らしていた。
部屋数が無かったのではなく、
大きな部屋は当時の家長である爺さん夫婦が独占していたのである。
だから親父は窮屈な部屋で仕事をしていた。
ところがそんな親父の仕事の事なんか何にも判らない子供にとっては、
皆大人しくしていているのは本当につまらない。
だから親父に紙を投げつけたり、手足を叩いたりと悪戯ばかりしていたのである。
最初のうちは我慢をしていた父親であったが、
仕事の邪魔をされては堪忍袋の緒が切れたのであろうか、何も言わずに外へ連れ出し、
庭にあった物干し竿に手足を縛り付けたのであった。
これには流石にびっくりして目に涙を溜めて誤ったが、既に後の祭りである。
縛られた手は痛いし、怒られた事が悲しいし、情けなくなった。
それでも、何とか30分程で縛られていた手を物干し竿から解放する事が出来た。
しかし此処からが問題である。
どうやって部屋に戻るか?子供心にも親の怒りは良くわかったのである。
玄関を開けてればチリンチリンと音がするし、
だからと言って玄関を開けなければ部屋には入れない。
考えた挙句、猫になりきって、「ニャー ニャー」と声を出しながら、
玄関をソーッと開けて家の中に入ったのである。
今思えば非常におかしな話であるが、
其の時は真剣に「ニャー ニャー」と鳴いてみたのである。
後から聞いた話では、今まで怒っていた父親もハラハラしていた母親も、
其の時は思わず噴出し笑いをこらえるのが大変だったとか。
ならば、早いところ許してくれていたらと後顧するのであった。
この時の父親も怖かったのである。
コメント4へと続く

コメント4
高校の頃であった。
学割を申請して、成田までの切符を購入しようとした。
しかしこれが学校側から自宅に連絡があったのだ。
3Kのメンバーで当時の成田に行ってみようと言う事で学割を申請したのだが、
学校側が逸早くそれを察知し、事前に自宅に連絡をすると言う行動に出たのである。
学校から家に帰った。どうも其の時の母親の様子がおかしい。
既に臨戦態勢に入っているような殺気を感じた。
といっても暴力を振るうわけではないが、母親の態度が硬直しているのが判る。
態度だけではない、当然顔も硬直している。
いやむしろ引きつっていると言った方が妥当か、、。
低い声で「ドコヘイクツモリダッタノカイッテミナサイ」と問いただされた。
結局1Kだけは進歩的な両親の許可の下単独成田へと乗り込み、
2Kは仙台へ行くと言う事で許可を貰い旅立ったのである。
この時も子供が過激な行動に出るのではないかと言う母性本能が働いたのであろう。
母親の怖さは充分に肌に感じ取ったのであった。
コメント5へと続く

コメント5
もう一点だけ怖かった話をしよう。
小学校1~2年の頃である。
当時父親の転勤で釜石市に住んでいた時の事である。
昔から病弱であった母親は当時も入退院を繰り返していた。
放課後母親に頼まれて郵便局へ行った。
入金したのか引き出したのか、どちらであったのかハッキリとした記憶は無い。
とにかく郵便局へ行った事は覚えている。
ところが、1~2年生の頃は普通の子供なら注意力も散漫な年頃だ。
確かに郵便局へ入ったのだが、自宅への帰り道に、
風呂敷き包みに入れてあった通帳と印鑑を落としてしまったのである。
道を右に行ったり左に行ったりと道草をしながら多分風呂敷包みを振り回したのだろう。
子供ならやりそうな事である。
家に帰るなり風呂敷包みにあるべきはずの通帳と印鑑が見当たらないのである。
当然母親は怒ったのである。
ただでさえ小さい子供は益々身体を小さくして、その母親の怒りに耐えていた。
当然通帳をそのままにする事は出来無きないから、探さなければいけない。
直ぐに引き返して探すように言われた。
その後どのような行動をとったのか覚えてはいないが、探し回った事だけは記憶にある。
しかし、1~2年生の子供である。
何処を如何探していいのか判るはずも無く、結局見つからなかった。
母親にどのような言い訳をしたら良いのか途方にくれているところに、
道端で父親と出合った。
「ドウシタ」と尋ねる父親に、全てを説明した。
父親は「シンパイスルナ、オトウサンカラオカアサンニハナシヲシテアゲルカラ」と
慰めてくれた。
其の瞬間に安心をしたのか泣き出してしまったのである。
家に帰ると、母親が待ち構えていた。
と思ったのは1~2年生の子供であったからだ。
実際には母親も小さい子供に大事な用件を押し付けた事を後悔し、
また、そのような失敗をした子供を更に怒ってしまった自分自身に、
憤りを感じていたらしい。
とにかく、たまたま運良く、其の通帳を拾ってくれた人がとても親切な人で、
ちゃんと自宅まで届けてくれて、事無きを得たのである。
そんな母親の葛藤を聞いたのも既に大人になってからである。
コメント6へと続く

コメント6
母親は怖いだけでは無い。
これも小さい頃の話だが、お小遣いを10円も貰った時の事のようだ。
確か夜だったと思う。
何故か飴玉をしゃぶっていたと思う。
其の飴玉も無くなったのだろうか、口に入れるものが何も無いので、
貰ったお小遣いを口に含んだようである。
口に含んで遊んでいるうちに、誤って飲み込んだらしいのだ。
その小銭が喉に引っかかったのである。
当然息が出来ない。
息子の様子に異変を感じた母親は慌てる。
「ドウシタノ」と母親に尋ねられて「ジェンジ」と答えたそうである。
当時まだ2~3歳かと思われる。
「ジュウエン」ということを伝えたかったらしいのだが、其れが母親には伝わらない。
とにかく寝せようとすると子供は10円玉が喉を塞ぎ息苦しくなってわめきだす。
抱っこをして上半身を起こしてやれば、また喉に隙間が出来て息が楽になる。
何が原因かわからない母親はとにかく子供を抱っこしたまま朝方を迎えたのである。
朝になっても一向に容態が変らない事から医大に子供を連れて行ったのだが、
医者の診断で、レントゲン写真から喉に10円玉が引っかかっている事が判ったのだ。
医者は手術をしなくても薩摩芋を食べさせる事によって、
排便と一緒にでてくると判断したようだ。
最初のうちは大好きなサツマイモを食べる事が出来て、当の本人は大ハシャギである。
しかし、3食を毎日サツマイモでは流石に飽きてきた。
喉のつかえも取れているので、本人はいたって元気だ。
母親の心配をよそに病院内を遊びまわる。
母親は医者の指示で子供の排便を水に溶かして10円玉を探すがなかなか見つからない。
この作業にも慣れてくると、子供も見た目が元気だから、
母親も多少手抜きをするようになる。
子供と言っても、普通に食べるのだから、やはり匂いだけは大人並みである。
決して良い匂いとは思えない作業は、やがて簡単に割り箸でチェックをするだけで捨ててしまう。
なかなか10円玉発見の報告が上がってこないので、医者はまたレントゲンを撮影する。
しかし、喉にあった10円玉は、既に喉には無く、更にはお腹の中にも無かったのである。
10円玉の確認は出来なかったが、体からは消えてなくなっていたのである。
退院する時に母親に「ジュウエンハドウシタノ」と尋ねたら、
「ナクナッチャッタ」と言われた記憶がある。
そうか自分の体で10円玉が溶けてなくなちゃったと随分と長い間信じていたのである。
自分の落ち度を2~3歳の子供に説明しても判らないだろうという事で、
「ナクナチャッタ」と言ったのだろうと思われる。
この話も中学生くらいになってから事の真実を聞かせれた。
母親による看護は有り難いものである。
コメント7へと続く

コメント7
これは中学生の時だった。
全クラスが8クラス有り、生徒数も360名位であったと思う。
クラスにより出来が良いクラスと出来の悪いクラスもあるだろうが、
それよりもクラス全体が出来の悪い時と言う事も有り得るだろう。
そんなときだったのだろうが、成績も左程良くなかったのだが、
同じクラスの連中も他のクラスに比べて何故か出来が良くなかった。
だから、たまたまではあるがクラスで一番になってしまったのである。
こちらにすればクラス全体が出来が良くて自分の成績も出来が良くて、
それで、一番なら本当に嬉しいのであるが、今回はチョッと事情が違う。
まあ、とにかく其の事は両親に伝えた。
当然どんな理由であれ、クラスで一番と言う事は親にしてみたら嬉しい事である。
其の時に父兄面接があったのだが、いつもならあまり早く学校に現れない母親が、
生徒が教室を掃除している時間から、早々と学校に現れたのである。
同級生からは「やっぱり一番になると違うよな~」と冷やかされたのであったが、
複雑な気持ちであった。
担任にすると、クラスで一番の子供の評価より、
自分が担任をするクラスの成績が悪い事の方が気に掛かっているようであった。
担任のいった言葉がいまでもちゃんと記憶に残っている。
「ヨノナカニハウエニハウエガイルノダカラキヲヒキシメルヨウニ」と
なにやらお褒めの言葉と受取っていいものなのだろうかと疑問に思ったのであった。
しかし、何であれ母親は大喜びであったのだ。
だから、夕飯はいつもと違って豪華であった事は間違いない。
といっても、安月給のサラリーマンの家庭ではたかが知れてはいるが、
母親が料理に腕を振るった事だけは間違いない。
有り難いものである。
コメント8へと続く

コメント8
昨日の2次会でも少子化の事が話題に上がった事を伝えた。
実は在京白堊会担当年次の最後の挨拶で、少子化の事について触れたのであった。
最後の結びの言葉が「・・・と言う事で、先輩方ご協力宜しくお願い致します」と結んだのであった。
2次会では早速、教育的立場から「少子化を解決するにはどうすればいい?」と
いうまじめな話が持ち上がったのだが、真っ先に担当年次の言葉を思い出した。
50を過ぎてもまた子作りに励まなければいけないのかな~と。
つい、ニンマリとしてしまったのである。
まあーこれは冗談ではあるが、最近の親は子供を作りたがらないようである。
色んなところに原因があるから、それについては此処では触れないが、
我々の親は子供を生んで育てると言う事に関して、おおらかで有った。
決して裕福ではなくても、喩え貧しくても、
また、楽しみが其れしかなかったからとしても、結果としての子供達は今よりは多かった。
親子の関係も愛情に満ち、近所の付き合いの関係も常に子育てと一緒に進んでいた。
近所の子供が悪さをすれば、平気で注意をして叱りつける大人が其処にはいたのである。
当時はいろんな意味で親子関係、近所付き合いが上手く回転していたのだろう。
だからちゃんとした親が今居ないということではなく、環境が難しくなったと言った方が正解なのかも知れない。
両親が元気だった頃の事を思い出すと、怖くてそして優しい両親がいた。
近所のおじさんおばさんも優しくて怖くて両方兼ね備えていた。
子供の頃はそんな大人達で溢れていた。
コメント9へと続く

コメント9
子供の頃あんなに怖かった両親も年を取ってしまった。
ベットに横たわっている父親の姿が目に浮かぶ。
背中が曲がって、立ち上がる度に膝を痛そうにしている母親の姿が浮かぶ。
両親には長生きをして貰いたい。
かと言って、薬漬けでただただ苦しみだけを感じながら生き続けるようには
絶対になって欲しくない。
幸い、そんな症状には陥っていないが。
出来る事なら苦しまずに一生を全うしてもらいたいものである。
最近は丸くて丸いほど丸くなってしまった。
親父は頭の中が徐々に丸く小さくなってきているようだし、
お袋は背中が更に曲がってきて丸くなってきたようである。
最近は「コンドイツクルノ」と電話で尋ねてくるので、
「ソノウチイクヨ」と曖昧にしていたが、
そろそろ行かないと益々丸さが増して手遅れになったら困る。
だから近々盛岡へ行きたいものである。
コメント10へと続く

コメント10
やはり今日は母親から電話が来た。
「キレイナオハナアリガトウ。コンナコトヲシテクレナクテモイイノニ。ヨケイナオカネヲツカワサセテワルイネー。」
と言う。
何にも出来ない子供としてはせめて母の日位、花でも送る事しか出来ないのである。
出来が悪くて何時までたっても心配ばかり掛けている息子は、
親にすれば何時までも可愛いものだろう。
そう考える事にして、今度帰省したら、普段手の届かない事を手伝ってやるしかないなと、
自分に言い聞かせるのである。
今自分は二人の子供の父親である。
子供達もやがて結婚をして、自分にも孫が出来るだろう。
そんな時、自分は一体何が出来るのだろうか。
子供を生んだ母親ならともかく、種を植えただけの父親とは一体どんな存在なのか、
自分が母を想う時に、疑いも無く子供達も同じように彼等の母を想うだろう。
しかし、自分が父を想う時、子供達が自分を如何想うのかは全く判らない。
そんな取りとめの無い事を母の日に想った。
自分がこの世に存在し、今生きているのは生んでくれた母のお陰である。
たとえ今が苦しくて、耐え難いほど切なくて、どうしようも悲しくても、
また、楽をして、とても嬉しくて、そして本当に楽しくても、
其れはどちらにしても自分がこの世に生を受けたからである。
生きると言う事はそれらの繰り返しなのである。
最後に一言、「この世に生んでくれてお袋さん、有難う。」
この言葉をお袋さんに贈ります。

END

切ない思いになりました。
親とはありがたいものですね。
そして同時に、年老いた親のことがいつも気になります。離れていると猶更です。
近いうちに顔を見せてあげてください。一番元気が出るでしょう。
今すぐ飛んでゆけなくても、ご両親に以心伝心、Mannbouさんの優しいきもちが伝わっていることでしょう。

JR東日本に「大人の休日倶楽部」という
吉永小百合がCMに出ている格安の会員限定商品があるのですが、
(決してJRの宣伝をしているのでは有りません)
期間限定で一日6000円でJR東日本全線、
JR北海道線乗り放題の切符を購入しました。
其の切符で今度盛岡へ行ってきます。
第二のふるさと釜石市へ足を運び、
子供の頃の自分に出会えたらと思います。
勿論両親の顔も見てこようと思ってます。
其の上で、昔の事を両親と懐かしく話せたら良いなと思っています。

今年3月中に会員になれば入会金無料と新聞広告で見たので、
会員になろうかと思いましたが、手続きをしないまま今日に至ってしまいました。
2日後、再び盛岡に行ってきます。
宿泊しても、東京付近から一万二千円で往復できるって魅力ですよね。
そして、切符一枚であちこち乗り降り自由っていうのも嬉しいです。
やっぱり会員になっておけば良かった...。

どちらにしても年会費2500円は取られますが、
それ以上に切符の有効利用が出来ますよ。
今回の切符は1日単位で乗り放題の6000円でしたが、
今後3日間乗り放題で12000円の切符も発売されます。
期間限定ですが、利用価値が高いと思われます。
以下3日間乗り放題の期間です。
平成18年6月26日(月)~7月9日(日)
平成18年9月22日(金)~10月1日(日)
平成18年11月27日(月)~12月10日(日)
平成19年3月2日(金)~3月11日(日)
他に新幹線を含むJR東日本線を片道・往復・連続で201キロ以上利用すると、
JR東日本線の運賃・料金が5%割引になります。
会員になるためには3週間ほど時間を要しますが、
遠出をする予定の或る方にはお勧めです。

コメントする